今日は私の母のお話を記事にしてみることにしました(笑)
母と私は何でも話せる親友のような関係です。そのような関係になれたのは幼いころからのコミュニケーションによるものなのかも、と最近思い始めました。
私は幼少期のころから、一人で過ごすことが大好きな子どもでした。集団行動が苦手で、協調性のない子どもだったのですが(私は自覚ナシ)それを心配した母は、私が小学校にあがってから、あることを行うようになりました。
今考えると、その習慣が、母と私の関係性をつくっていったと感じています。
この記事では母が考えた「娘と友達のような関係でいるために始めた3つのこと」をお話します。
Contents
心配性の母だった
初めてのワンオペで分からないことだらけ
初めての子育てで、右も左もわからない毎日を過ごし母はとても不安でした。誰もがとおる道と言われますが、子育ては、1人ひとり全て違います。
どんなことをしても泣き止まない我が子(私)を見て、
これはノイローゼになる。と思ったそうです。
周りの子と違う気がして…
- 協調性がない
- 抱っこすると怒る
- 褒めると怒る
- 一人でやらないと気が済まない
- 甘えてくれない
など、他の子とは違うところばかりが目に付き、「個性」とは思いつつも母の心配は大きくなっていきました。
その①秘密の交換日記を始める
小学1年生から
小学校1年生から、母と交換日記を始めました。
幼稚園のころから、ひらがなドリル、カタカナドリルなどをして字を読み書きできることが嬉しくて仕方なかった私は、「交換日記」をしたら、文字を書いたり読んだりできる!ということにワクワクしました。
もちろん、最初は字も汚く、時間もかかりました。
3年、4年となっていくうちに、だんだんと字を小さく書けるようになり、交換日記は母とのコミュニケーションの場のような存在になっていきました。
内容は…
主な内容は、今日あったこと、感じたことなどでしたが、次第に悩みを書くようになりました。
- ○○くんに、いじわるされたこと
- 先生に言うと何でもすぐに報告する、と他の友達にからかわれたこと
- 悪口を言われたこと
- テストであまり良い点じゃなかったこと
など、ほぼ愚痴のような内容のときも多かったです(笑)
母の返事は、私の愚痴に対して「こうしたらいいんじゃない?」という提案や、「お母さんにもそういうことあったなぁ」という体験談など、普段聞けない話を書いてくれていました。
他にも日記では「今日こんなことがあってね…」という職場での出来事などを書いてありました。
子どもに対して「今日学校どうだった?」と聞くことはあっても、反対にお母さんは自分の「今日の出来事」をあんまり子どもに話しませんよね。
本当は子どもも、親のことを知れると嬉しいのかもしれません。私は、母の周りで起きたことを日記を通じて知れたのが嬉しかったです。
交換日記がヘルプのサイン
集団行動が苦手だと気づき始めた小学校高学年のころ、友達との関係に悩むようになりました。特に、新学期が嫌でした。新しい空気感が苦手で、長期休みをはさんで、友達が違う人になった感じがしたり、新しい勉強への不安などがありました。
そんなときに「学校を休みたい」と思う日がありました。
(そうはいっても、毎日通うのですが…)
母は「行きたくなかったら、休んでいいよ。」と決まって言っていました。
そして、学校に行くのが辛い日は交換日記に書くことに。「学校で、こんなことがあった、だから少しお休みしたい」と書いていた気がします…。
日記を読んだ母は、学校へ連絡し、必ず休ませてくれました。
こんなふうにして、ヘルプサインを出す場が「交換日記」でした!
下の弟や他の家族に気づかれることなく、「交換日記」を通して母に悩みを相談できたのが、思春期の私にとっては本当に良かったです。
これは中学に入っても続きました。辛いことがあると日記に書き、母に返事をもらっていました。
その②月に1回のデートをする
2人きりで
小学生になると、月に1回は母と2人で出掛けていました。
それを母は特別な「デート」だといういうふうに私に言っていました。
「今度の日曜日、お母さんとデートしようか?どこに行きたい?」といつも聞いてくれました。母は人混みが苦手なのですが、そのデートのときは何も言わず出掛けてくれました。
私には弟がいて、なかなか母と2人になれることは少なかったので、月に1度母と2人きりで過ごせるのが嬉しかったです。
友達とは行かない場所に
行く場所は遠くはありませんでしたが、それでも友達とは行かない場所につれていってくれました。
- お風呂やさん
- 温水プール
- 大きなショッピングセンター
- デパート
- オシャレなカフェ など
買い物をして、カフェに入って、帰るだけの普通のお出かけも多かったですが、私にとって母とのデートはリフレッシュできる時間でした。
その③季節を感じるお出かけをする
春夏秋冬を感じるために
春にはお弁当を持ってピクニック、夏には川遊びやキャンプ、秋には紅葉を見にお散歩、冬はスキーや雪遊びに出かけるなど、季節ごとに家族でお出かけをしていました。
特に、夏と冬のお出かけは、いつもとは違う場所で、家族と一緒に過ごせるとてもいい機会でした。キャンプ場では、母と一緒になってテントを組み立てるのも楽しかったですし、弟と鮎のつかみ取りを体験したのもいい思い出です(笑)
お金はかけない
お出かけはしていましたが、たくさんお金は使っていなかったそうです。
なるべく、おにぎりや水筒を持って出かけるなど、工夫をしていました。
節約したいときは、車中泊も当たり前でした。シートを倒して、家族4人で車の中で過ごしました。今思うと、車の中で一晩過ごすという非日常の体験が、子どもにとってはワクワクする経験の一つだったのかもしれません。
気をつけていたこと
呼び捨てにしない
母は、今でも私や弟のことを「名前」+ちゃん(くん)付けで呼びます。
小さいころだけかと思いきや、大人になってもずっとそうです。
なぜなのか聞くと「一人の人間として尊重したかったから」「呼び捨てにすると自分のモノみたいな感じになりそうだから」と答えていました。
どうしても「呼び捨て」にすることで粗末に扱っているような感じがしてしまうそうです。
いろんな人間がいることを教える
母は、私が幼少期の頃から、お年寄りや障がいを持った人との交流をさせてきました。
それは
- 世の中には、自分の知らない人がたくさんいる
- いろんな考え方の人がいる
- 知らないから怖いと感じてしまう
ということを教えるためでした。
交流の仕方は、お年寄りが集まる地域のお祭りやイベントに参加したり、知的障がいのある人のサークルで集まって季節ごとにパーティしたりなどでした。
小さいころから、様々な人と交流を持てたことは、自分の人生とってとても役に立っていると感じています。知らないから差別や偏見を抱いてしまう。逆に知っていればそれは個性として理解することができます。
最後に
母は子育てには正解がないということを自覚した上で、我が子とたくさん関わるという努力をしてくれました。
働きながら私をかまうのは大変だったと思いますが、小さいころからの関わりがあったからこそ、今は何でも話せる親友のような関係を築けています。
今日お話した3つのこと
娘と友達のような関係でいるために、母がしていた3つのこと
その① 秘密の交換日記を始める
その② 月に1回のデートをする
その③ 季節を感じるお出かけをする
これが、あなたのお子さんに合うかは分かりません。これをしたら絶対親子関係は大丈夫などということはもちろんありません。
大切なのは「我が子を思う気持ち」と「それをどう行動に移すか」だと思います。
我が子との関わり方で、自分では失敗したと思うようなことがあっても、
やってみて意味のないものは1つもないと思います。
まだ子育てしてもいない私が偉そうなことを言う資格はないかもしれませんが、ここでお話した内容は、すべて私の母から聞いたものです。
これから子育てをする身としても、ぜひシェアしたいと感じたので、書くことにしました。
子育てに奮闘されている方の参考になれば、とても嬉しく思います!